・新聞への信仰
「日本では,いまでも新聞はメディアの核である.」(「総合的学習としてのNIE実践活動(3)」板垣 雅夫 『日本私学教育研究所紀要』 [2006.3] p.97)などと,新聞を別扱いしている人が教育界でも多い.これも不思議なことである.
私にとって新聞はメディアの1つであって,雑誌やテレビや夕刊紙などより偉いとは思っていない.同様に,NIEというのはメディアリテラシーの1つであって,他より偉いわけではない.
私は新聞が嫌いなわけではない.小学校1年から朝日小学生新聞を読み,5年ぐらいからは新聞を毎日書かさず読んできた.東京に1人で出てきた後もとり続けている.
という上で書くのだが,私は「インターネットで情報が次々と無料になっていく(利用者から直接料金を徴収しない)中,新聞社の現在のビジネスモデルは行き詰まるに違いない」と考えている.つまり,現在の新聞が維持できなくなるのではないか,と恐れている.
とすれば,「新聞の権力批判機能」や,もっと具体的に「新聞社がなくなればインターネットからニュースは消える.」(同 p.97)に対する,インターネットにニュースを無料で提供してくれる,「代替する(無料でニュースを提供する)メディア」がやっぱり欲しい.
それはテレビ局かもしれないし,市民参加型のメディアかもしれないし,現在の新聞社が新しいビジネスモデルを生み出すかもしれない.がともかく,それは必ず現れると私は信じている.(この根底には,私の現在のコンテンツ流通産業に対する不満がある.)
ということもあり,どうしても新聞を特別扱いすることはできないのだ.
・リテラシーとメディアリテラシーを分けて考える?
「リテラシーとメディアリテラシーを分けて考えるべき」という意見があった.これに対しては司会者から反論も出た.
しかし,おそらく言葉の定義が異なるのだと思うが「メディアでない読み物」というものはあるのだろうか,と私は感じる.私はリテラシーもマスコミリテラシー?でさえも分けられないように思える.
未だ未消化のところもあり,考えるところは多かった.